鳥居
神社に参拝するとき、まず最初にくぐるのが鳥居です。
鳥居というと朱塗りの鮮やかなようすを想像するかもしれませんが、当社の鳥居は白木のいたってシンプルなものです。
実は鳥居にも神社によっていろいろな種類があるのです。「鳥居」の語源には諸説があり、定説はいまだありません。歴史的には神社の入口に2本の柱を立てたのがはじまりで、しだいに洗練され、現在の鳥居になったと考えられています。
ふるくは木造でしたが、後世には石造・銅造・コンクリート造などができ、かたちによって神明・鹿島・春日・八幡・明神・稲荷・山王・両部・三輪鳥居などがありますが、大別すると神明系と明神系とからなります。(図参照)
*鳥居の最上辺を「笠木」という
(図:いろいろな鳥居 「神道小事典」より)
- 神明系
- 黒木鳥居(内宮鳥居・外宮鳥居)
- 鹿島鳥居
- 明神系
- 明神鳥居
- 春日鳥居
- 八幡鳥居
当社の鳥居は、伊勢神宮と同じタイプのものです。
「房総伊勢の宮」と仰がれる当社では、以前は、伊勢神宮にならい、20年に一度、式年遷宮(社殿の建て替え)があったようですが、現在では、諸都合から、鳥居の建て替えをもって式年遷宮にかえています。
これが、式年鳥居木曳祭であり、最近では平成7年に行われました。(次回は平成27年)
鳥居といっても、いろいろなエピソードがあるんですね。
軽く一礼をして、心を清新に、境内に参りましょう。
(写真:社号標・二ノ鳥居)
手水舎
神社にお参りする前にしておかなければならないことがあります。
それが「手水」です。
手水は、ただ口をゆすぎ手の汚れをおとすだけではなく、心をあらい清め、身も心も清新にして神前に参る、という意味がこめられています。
ですから、手水は心をこめて、丁寧におこないましょう。
また、意外と知られていないことなのですが、手水にもきちんとした作法があります。これはただの形式的な意味だけでなく、エチケットも含まれていますから、おぼえておくといいでしょう。
(図:手水の作法)
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手水の作法
【1】右手で水をくみ、左手のてのひらを洗います。
【2】ひしゃくを左手にもちかえ、右手のてのひらを洗います。
【3】ひしゃくを右手にもちかえ、左手のてのひらに水をため、口をすすぎます。
*ひしゃくに直接口をつけてすすぐのは、マナー違反!
【4】右手で左手のてのひらに水をかけて洗います。
【5】ひしゃくを立てて、柄に水を流して洗います。
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身も心も清められたら、参道を参りましょう。
このとき、参道の中央は「正中」といって、神さまのお通りになるところと考えられていますので、正中は避けて歩きます。
狛犬
御社殿に参上する階段のちょうど前、参道の両側に力強くおわしているのが狛犬です。
狛犬はふつう一対でおかれているわけですが、実は左側と右側とでは違いがあることをご存じでしょうか?
「神道小事典」(遠藤 千 編)には次のように説明されています。
- 狛犬・こまいぬ
- 神社の社殿の内部または神前の庭上に、守護と装飾をかねておく一対の像。高麗犬・胡摩犬などとも記し、仏寺にもある。
「禁秘抄」に「獅子・狛犬帳前(とばりのまえ)南北に在り、左は獅子」とある。
また、狛犬は角がない、耳を立てて口を閉じる。
獅子には角があり、耳を垂れ、口を開く、
と説明する書があり、古くは「獅子・狛犬」と区別されていたようであるが、
のちに両者をあわせて「狛犬」というようになった。
狛犬はインドのライオンの像が、中国・朝鮮を経て我が国に伝来したもので、朝鮮(コマ)から伝来した犬ということからコマイヌと呼ばれ、かたちとしては一対とも口を閉じたもの、一対とも口を開き玉をくわえたもの、一方が口を開き(=阿)他方が口を閉じた(=吽)もの、子獅子を抱くもの、など多様である。
- 「神道小事典」(遠藤 千 編)より
どうやら、左側が獅子、右側が狛犬であるようですね。
実際に違いがわかりますか?
角があるかどうか、については、写真からでは判断が難しいですが、口を開いているかどうか、については、写真からもよくわかりますね。
御社殿
境内の最奥に神々しくそびえたっているのが、天津神明宮の御社殿であります。
祭神、御由緒などは
御祭神・御由緒をご覧ください。
御社殿は新しく建造された土間拝殿、拝殿、幣殿、本殿...と数十mにわたり奥に続いておりますが、一般の人々はもとより奉職している神職でさえ、天照皇大神、豊受大神、八重事代主神(えびす様)のおわします本殿以奥に足を踏み入れることは許されません。
参拝は土間拝殿、拝殿にて、御祈祷は拝殿にておこないます。
参拝の作法ですが、基本的に
二拝・二拍手・一拝(2回おじぎ、2回拍手、1回おじぎ) ですが、
拝殿に出入りするとき、神前に参上・退出するときは、軽く一礼をすることもエチケットです。
作法うんぬんを申せばきりがありませんので、この程度にしておきますが、要は
心をこめて、敬神の念篤く参拝することです。
- 参考までに...
- 参拝の際、拍手をするわけですが、このようすを柏葉にたとえて拍手を「柏手」(かしわで)と言います。
御神水
春日社の裏手にこぢんまりとあるのが、御神水摂り場です。
ふるくより当地は神聖なる場所とされ、神社の井戸から湧き出ずる水は「御神水」として仰がれてきました。
また、当地は日本において辰巳の方角(南東)という吉方に位置しているため、現在でも身体の健康や家庭の平穏などを祈念して、遠くは東京や横浜からはるばる御神水をいただきにいらっしゃる方々もあります。
御神砂
境内向かって右手、
孫釣大明神の手前にあるのが御神砂取り場です。
御神水とともに境内の御砂を取られる方々にお頒ちしております。
諾冉神社鳥居
境内東側にある白木の鳥居は神社の東側にある極相林におおわれた小丘の山頂に御鎮座されている
諾冉神社の鳥居です。
鳥居は
諾冉神社への参道(登山道)のちょうど入口にあたり、ここから険しい道を登って参ると約5分ほどで、山頂の
諾冉神社に至ります。
道が険しいこともあって、4月におこなわれる
諾冉神社例祭(山開き)をのぞいてはふだんあまり登っていく方はいませんが、
諾冉神社からはすばらしい眺めが望めますので、健脚な方は登ってみてはいかがでしょうか。
長神社
御祭神
- 八幡神(応仁天皇、誉田別尊:ホンダワケノミコト)
- 稲荷様(宇迦之御魂神:ウガノミタマノカミ)
- 山神様 ほか多数の神を合祀
境内西側、
手水舎の裏側にある横長のお社が長神社です。
長神様には八幡神、稲荷様、山神様など、多数の神さまが合祀されています。
八幡神は春日神(天児屋根命:アメノコヤネノミコト)とともに、
神明様(天照皇大神)の側に仕える神であり、境内東側の最奥には
春日神も祀られています。
また、稲荷様は商売繁盛にご利益のある神さまとされ、むかしより地域の商人たちにあつく崇敬されてきました。
春日社
御祭神
- 春日神(天児屋根命:アメノコヤネノミコト)
- 住吉三神
- 底筒男命:ソコツツノオノミコト
- 中筒男命:ナカツツノオノミコト
- 表筒男命:ウワツツノオノミコト
境内東側の最奥にあるお宮が春日様です。
ここには、春日神(天児屋根命:アメノコヤネノミコト)が祀られています。
春日神は八幡神(応仁天皇、誉田別尊:ホンダワケノミコト)とともに、神明様(天照皇大神)の側に仕える神です。八幡神も、境内西側、手水舎の裏手におわします
長神様に合祀されています。
境内とは別の場所にも、当社から西側に八幡神社、東側に春日神社が御鎮座されており、一説には当社に添って創建されたとも言われています。
また、以前は境内西側に御鎮座されていたといわれる住吉三神も合祀されています。
住吉三神は金比羅神とともに、海上交通の神さまとしてふるくより主に漁民たちに尊崇されてきました。
「住吉信仰」の中心は難波の住吉大社(大阪市)で、かつては中国・朝鮮からの文化伝来航路を護る神さまとして敬われました。やがて、それが広義的な海上交通へと一般化され、全国各地へと広まっていたものと考えられています。
実入地区にも住吉神社が御鎮座されています。
孫釣大明神
御祭神
境内の東側、イチョウの大樹の下にある小さな石宮が孫釣大明神です。
孫釣大明神とは天津小湊町布入地区で漁を営んでいた斉藤源六翁です。
翁は漁業発展のためにさまざまな工夫をこらし、特に「孫釣の漁法」を考案し、当地域に多大な恩恵をもたらした御遺徳により、翁の帰幽数年後、神としてお祀りしたものです。
むかしより地域の漁民にあつく崇敬され、また、新事業の開始にあたり、孫釣大明神のお力をお借りすると万事成功すると言われております。
県指定天然記念物
「まるばちしゃの木」
境内西側にある「まるばちしゃの木」は県指定天然記念物となっており、最大のものでは目通り周約1.6mあります。
「まるばちしゃの木」は亜熱帯性の落葉喬木で主に中国大陸南部や海南島、台湾などに生育し、日本では沖縄・九州などの海岸山地にまれに自生していると言われています。当地はその北限としてたいへん価値が高いと言われており、天然記念物指定を受けたわけです。
周辺では実入・寄浦地区の海岸山地の小地域に野生していますが、大きさはせいぜい直径15cmの幹をもつほどで、境内にあるくらい大きなものは見当たりません。
初夏には枝端に白色の小花が密集して咲き、秋には直径1cmほどの黄色い実をつけます。種子はアサガオほどの大きさですが、容易に発芽しないことからむかしより珍樹とされています。
また「なんじゃもんじゃの木」の呼称伝説もあり、興味深い神木と言えるでしょう。
戦没者慰霊碑
境内西側の最奥にあるのが日露戦争・大東亜戦争の戦没者慰霊碑です。
日露戦争、大東亜戦争では当地からも多くの方々が戦地におもむきましたが、不運にも尊き生命をおとされた方々も少なからずいらっしゃいます。日本国のためにたたかってくださった英霊たちを慰み鎮め、また、彼らがはたした多大なる偉業に対して、感謝の念を新たに示さん、と地域の人々によって建立されました。
現在でもご遺族や「慰霊碑保存会」の方々によって毎月きれいに清掃され、大切に受け継がれております。
毎年8月15日には、戦没者慰霊祭がおこなわれます。
3月下旬から4月上旬にかけては、桜が咲きみだれ、美しい光景を楽しむことができます。
本当の意味での平和の尊さを教えてもらえる境内の一角です。
日露戦争記念碑
御社殿に参上する階段の西側にある記念碑が日露戦争記念碑です。
これは日露戦勝を記念してつくられたもので、同時につねに世界平和の実現を願ってはるかむかしより歩んできたわたしたち日本人の祈りでもあります。
社務所
境内入口、向かって右手に社務所はあります。
社務所では
御神札・おまもりの授与、
御祈祷のお申込・お問合せ、神棚の頒布などを承っております。
当社の
御由緒などを記した「参詣のしおり」もご用意しております。
神社に関するご質問など、お気軽にお尋ねください。
<天津神明宮社務所>
〒299-5503 千葉県鴨川市天津2950番地
Tel 04-7094-0323(午前8時~午後6時)
Fax 04-7094-0343
参集殿
境内東側、向かって右手には当社の参集殿があります。
大広間や控室などを完備しており、祭礼時の直会や結婚式の控室、各種研修会などに使用されます。
夏季は民宿としても提供され、臨海学校など団体の方々に重宝されています。
以前は結婚披露宴会場としても頻繁に使われていましたが、いまでは挙式のみ方がほとんどです。
舞台
境内東側、
諾冉神社鳥居脇にある建物が舞台です。
毎年10月16日の当社例祭など、祭礼にて神楽舞や演芸を披露するところとして建造されました。
中でも当社巫女(地域の中学・高校生)による「浦安の舞」は地域の人々にも広く知られており、例祭の恒例となっております。
舞台奥は
諾冉神社の遥拝殿にもなっており、毎年4月の
諾冉神社例祭(なぎなみ祭・山開き)では祭儀が執り行われます。